【最高速アタックの時代】合い言葉は“300km/h突破!!” 谷田部では誰もが真剣だった
チューニングカー最高速アタックの場として、のち10数年にわたり「OPTION」誌が主催することとなった谷田部高速周回路での最高速テスト。その第1回は、1981年半ばに行われました。
1981年、初めての谷田部最高速アタック記録は264.71km/h
チューニングカー最高速アタックの場として、のち10数年にわたり「OPTION」誌が主催することとなった谷田部高速周回路での最高速テスト。その第1回は、1981年半ばに行われました。
その時の記録は、国産車勢が「スピードショップ久保」S30Z(L型NAメカチューン)が257.60km/h、輸入車勢では「トラスト大川」トランザムの264.71km/hを記録。
以来、腕に覚えのあるチューナーたちの間では「300km/h突破」が合言葉となりました。そして、国内初の300km/hオーバーは、すぐに現実のものとなったのです。
わずか数カ月後に光永パンテーラが307.68km/hをマーク
1981年11月、レーシングドライバー高橋国光が「光永パンテーラ」で307.68km/hを記録。これで火が付いたのは「大排気量の輸入スポーツカーに負けてるわけにはいかない!」と奮い立つ国産チューナー勢。しかし、300km/hの壁は思いのほか高く、「光永パンテーラ」の記録を越える国産チューニングカーはなかなか現れませんでした。
光永パンテーラ(1981年)
700psを誇るシボレー製7.7ℓV8のフルチューンエンジンを搭載。OPTION誌主催の谷田部最高速テストで初の300km/hオーバー、307.68km/hを記録しました。しかし、その2週間後に一般道で事故を起こし、オーナーの光永氏は帰らぬ人となりました。
1983年、HKSがセリカXXで300km/hの壁を破る
1983年末、「光永パンテーラ」の300km/hオーバーから2年、ついに“その時”がやってきました。
「HKS M300」が301.25km/hを記録し、国産チューニングの歴史へ新たな1ページを加えました。その後、ターボチューンの成熟に合わせ、1980年代後半になると2ℓクラスでも300km/hが現実のものに。
HKS M300(1983年)
国産チューンドで初めて300km/hを超えたのはセリカXXベースのHKS M300で、記録は301.25km/h。5M-G改3ℓ仕様を2基のギャレットTO4Bタービンで武装。ピークパワーは600psに達しました。
RE雨宮はサバンナSA22Cでロータリー初の300km/h超え
また、ロータリー勢はその排気量から「最高速に不向き」と言われていましたが、その中で一人気を吐くのが「RE雨宮」。13Bツインターボ仕様のSA22Cは1985年に307.42km/hをマークし、ロータリーエンジン初の300km/h超えを達成したのです。