【初期】チューニングカーの歴史 – 改造車は違法とされていた1980年代にオプションが創刊
1981年に創刊されたのが、2016年に創刊35周年を迎えるチューニング雑誌のパイオニア『OPTION(オプション)』でした。別冊『オートスポーツOPTION』から独立して創刊されました。
1981年オプションの創刊
1980年代前半、既に海外では一般的であったドアミラー、60以下の扁平タイヤなどが国内でも正式に認可され、新車にも標準装着されるようになりました。しかし、市販車へ何かしらの改造を行う事自体、違法となる時代でもあったのです。
1981年に創刊されたのが、2016年に創刊35周年を迎えるチューニング雑誌のパイオニア『OPTION(オプション)』でした。別冊『オートスポーツOPTION』から独立して創刊されました。
巻頭特集はRE雨宮チューンのRX-7(SA22C)で1800kmに及ぶ“日本縦断キャノンボール”という過激な内容でした。青山ゼロヨン、東名レースなど、ストリートに生息するチューニングカーのリアルな生態を克明にレポートした記事は実に衝撃的。
同時に、チューニングカーの動力性能を正確に測る場として谷田部高速周回路での最高速テストがスタート。1990年代以降、新たな指標として0-300km/hテストなども並行して行われるようになりましたが、ひとつ確実に言えるのは谷田部最高速を通じて国内のチューニング技術が大幅にレベルアップしたということ。
“その時代があったから今がある”と言っても過言ではないでしょう。
それまでアンダーグラウンドなものだったチューニングがオープンなものへとなったのは1995年の、いわゆる規制緩和。
アメリカからの圧力でパーツに関する規制が一気に緩くなり、それまで違法とされてきたチューニングの大半が合法化されました。さらに、改造車検も通しやすくなり、押さえるべき最低限のポイントさえ外さなければ、ストリートでも大手を振ってチューニングカーに乗れる状況になったのです。
『OPTION』の創刊から10数年、ようやく時代が追いついてきたと言っていいでしょう。
第1回東京エキサイティングカーショー
東京オートサロンの前身、1983年に東京・晴海国際見本市会場で初めて開催された『東京エキサイティングカーショー』のひとコマ。アンダーグラウンドな存在のチューニングカーショーはセンセーショナルでした。
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